メルシ

                                       
月の子さん作


昼。
どんよりとした重い空。はらはらと白い雪が静かに舞い落ちる。
寒い部屋。
閉じられた窓に、風がガタガタと音を立たせている。
まだ午後を過ぎたばかりだというのに、灰色の厚い雲が陽の光を遮っているために、
司令官室は日が落ちたように薄暗かった。
「今日はかなり冷え込むな。」
書類整理も終わり、ひと段落したところで外に目をやりながら、オスカルは何気なく
呟いた。
少しかじかんだ手を両手でこすり合わせ、ふぅっと息を引きかける。
部屋の中にも関わらず、口からは白い息が出てきた。
寒さに身を少し縮めていると、横から音もなくカップが置かれる。
カップからは、甘い香りと温かそうな湯気。
「メルシ」
持って来てくれた相手に礼を言うと、オスカルは湯気の立ち上るショコラを少し口に
含んだ。
熱く、甘い液体が喉を通り、食道に進入し、胃の中へと落ちていく。
ショコラが血管の中を駆け巡り、体中が温かいもので満たされていく。
「ああ。まるで生き返るようだ。」
目を閉じ、椅子の背に背中を預けると、首を上に向け、ほぅっと息をついた。
それから、机においたカップを両手で包み込むように持つ。
まだ温かいショコラの熱が、カップを通して両手に伝わってくるのを感じた。
両肘を机の上につくと、オスカルは目の前に座る幼馴染を見てみた。
黒い髪、黒い瞳。
その表情は、穏やかで優しく、そして限りなく温かい。
黒曜石の瞳には労わりの色を宿し、オスカルを見つめていた。
オスカルもアンドレを見つめる。
どちらからともなく笑みが漏れる。
窓からはガタガタと鳴らす風の音。
両手には温かいショコラの入ったカップ。
目の前には優しく微笑む幼馴染。
慈愛に満ちた視線。
昔と変わらない懐かしい空気。
ひと時だけの穏やかな時間・・・・


       


夜。
風は止み、空には満点の星が輝いている。地上は雪で覆われ一面の銀世界。
暖かい部屋。
暖炉からは薪が炎に包まれ、パチパチと勢いよく音を立てて鳴らしている。
灯されたろうそくと暖炉の炎。そして、月の光で反射された地上の雪が、窓に差し込
み、
夜だというのに、部屋の中は明るく照らし出されていた。
「今日も一日、何とか無事に終わったな・・・」
長椅子にゆったりと座り、煌々と燃える暖炉の炎を見ながらオスカルは呟いた。
日ごと悪化していく社会情勢。立て続けに起こる暴動。市民たちの不満と怒り。
毎日目にする苛酷な現実に、心が沈む。
それでも何とか、今日という日を無事に終えたことに感謝する。
不安と安堵の気持ちで揺れる中、、目の前にグラスが差し出された。
グラスに注がれているのは濃い赤の液体。
「メルシ」
差し出されたワインを手に取り、グラスを軽く回して香りを楽しんだ後、オスカルは
ワインを口に含む。
仄かな酸味と、濃厚な味が口の中へと広がり、豊かな香りが鼻腔の奥へ入り込む。
「ああ、うまいな。」
軽く喉を鳴らした後、極上なワインの味に満足し、そのおいしさに思わず呟いた。
それから、グラスを目の高さまで持ち上げ、暖炉の方へかざしてみる。
グラスはオレンジ色の炎に映し出され、赤い液体が不思議な色を醸し出し、きらきら
と輝いている。
暫く、その色合いを楽しんでいたオスカルだったが、ふと横から視線を感じ、隣に座
る恋人に目を向けた。
昼間と変わらない、黒い髪。黒い瞳。
だがその表情は昼間と違っている。誘惑する微笑み。魅力的な男の顔。
黒曜石の瞳には情熱の色を宿し、オスカルを見つめていた。
オスカルもアンドレを見つめる。
暖炉からはぱちんと弾ける薪の音。
片手には赤いワインの入ったグラス。
隣には誰よりも愛しい恋人。
絡み合う視線。
どちらからともなく瞳を閉じる。
引き寄せられるくちびる。
これから訪れる官能の時間・・・


       


深夜。
厚い天蓋に覆われた寝台。素肌に触れる柔らかなシーツの感触。
ひんやりとする部屋。
静寂に包まれた暗闇の中、耳元に響いてくる鼓動。彼が生きているという証。
「まるで天上の音楽だな・・・・」
アンドレの胸に頭を乗せたまま、優しく伝わる音楽に耳を傾けながら、オスカルは呟
いた。
少し肌寒さを感じ、シーツを掛けなおそうと、オスカルはアンドレから身を離そうと
した。
その瞬間、不意に彼の腕がのびてきて、オスカルは優しく抱きしめられた。
彼の体温でオスカルの冷えた身体が、少しずつぬくもりを取り戻していく。
「メルシ」
少し顔を上げ、笑いかけながらオスカルは彼の顔を見つめた。だが、アンドレの瞳は
閉じられたままだった。
彼は安心した表情をして、優しい笑みを浮かべている。
腕はオスカルを抱きしめたまま。
「ふふ・・・」
無意識の中でも、彼に求められている事が嬉しくて、つい笑みがこぼれる。
心に温かなものがこみ上げてくる。体中が幸せな思いで満たされていく。
オスカルは彼のくちびるへ、起こさないように優しく口付けを落とした。
アンドレの腕に力がこもる。まるで、腕の中の宝物を逃すまいとしているかのよう
に。
彼の瞳は閉じられたまま。顔には優しい微笑み。
それを見て、オスカルも微笑む。
そのまま、アンドレの胸に顔を埋め、瞳を閉じた。
どちらからともなく身体を寄せ合う。
微かに聞こえる心音。
愛情でいっぱいに満たされた心のグラス。
隣には幸せそうに眠る半身。
お互いに感じる肌のぬくもり。
ひとつに溶け合う感覚。
永遠に続いて欲しい幸福の時間・・・


Fin



『あとがき』
月の子さんから、思わぬプレゼントをいただきました。
「メルシ」の言葉が効果的に使われていたので、そのままタイトルに使わせていただ
きました。月の子さん、ありがとうございました。



















[PR]動画