『Snow Dancing』  



「医療班!アラン・ド・ソワソンを医務室へ」


オスカルの指示でアランが医務室に運ばれていった。
こんな傷たいしたことねぇ。おまえら、あんな女の命令で動くのか?この裏切り者
め!アランの吠える声が小さくなっていく。

「どうだ?アラン、怪我の具合は?」
「いつか、刺し殺してやる」
「おまえになら、射されても恥にはならんさ」
そう言いながら、オスカルは彼の破けた軍服の代わりに手配した新しい軍服を差
し出す。

「この破られたほうは、こちらで処分しておく」
「ああ、そうしておいてくれ。半分はあんたのせいだからな?」
ぶっきらぼうに答えるアランにやれやれと言った様子で、オスカルはこっそりとた
め息をついた。

カツン!

「あ?」

オスカルが拾い上げると、それはナイフだった。
「俺ンだ」
「そうか。そういえばいつもナイフを持っているな?」
就任当初、娯楽室に渇を入れに言った時も彼は、ナイフ投げをしていた。
「ふん、このご時世、どこから襲われるとも限らないないンでな。護身用だ。さっさ
と返してくれ」

「そのナイフ。どこかで似たようなのを見た事がある」
「これは、兄貴の形見だ。ずっと俺ン家にあった」
「そうか.............」


      


「オスカル、おまえももう11歳だ。今年の誕生日には客人の前で挨拶くらいはせ
んとな?」
「はい、父上」
清々しいばかりの澄んだ瞳で父を見上げる少年。
「今日は、わしの恩人も来ておる。くれぐれも粗相のないように」
「恩人といいますと、父上がノルマンディーの別荘から帰られる折にお世話になっ
たというパリの方ですか?」
「うむ、よく覚えておるな。さすが、わしの子だ」

父親は、誇らしそうに息子を見つめた。
「はい、あの時は、アンドレと揃いのお土産をいただきましたから」
「そのアンドレはどうしておる?」
「ばあやのいいつけで、晩餐用の食器を運んでおりましたが」
「うむ、あれも小さいのに苦労しておる。今日はノエルだ。仕事のキリがついたら
一緒に遊ぶが良い。あとで見えられる客人も息子を連れてくると申しておった。子
どもは元気が一番だ。してオスカル士官学校ではどうだ?」

今日の父は機嫌が良い。
少年はそう思った。いつもは近づき難い父もノエルの日は、訪れる客人たちにオ
スカルのことを『自慢の息子』として紹介する。それが、なんとも言えず気持ちが
よかった。
自分は女なのだから、本当はドレスを着ておとなしくしていなければいけない。
ばあやはそう言うけれど、女の振る舞いをすると父の逆鱗に触れることはわかっ
ている。それに、じっとしているなんて大嫌いだ。好きな格好をして、好きではない
が、勉学や剣の稽古に励んでいれば、父からほめてもらえる。

「旦那様、お客人が到着されました。こちらのリストに無い方ですが、どういたしま
しょう?」
執事が恭しく頭を下げる。
「名は?」
「はい......」
執事は主人から名を聞くと
「お通しするように」
との命令を受け、玄関ホールへと取って返した。       
            

「おお、これは先生、よくいらしてくださいました。今日は、息子の誕生会も兼ね
ております」
「はじめまして。オスカル・フランソワです。先日は父がお世話になりました」
「おお。これはしっかりとした物言いでございますな?さすがは、未来の将軍様
です」
「いえ、それほどのことはありません」
少年はもじもじと言葉を返す。先生と呼ばれた男は、将軍に向き直ると
「いや、はや。同じ歳頃でも教育を受けた者とそうでない者の差は出るもので
すな」
将軍は、頭を掻きながらそう言う男の体の影に隠れるようにして立っている黒
髪の少年に目を留めた。


「ほほう!こちらが先生のご子息ですな?名はなんと申す?」
「フィリップです。将軍閣下」
「これ!フィリップ。姓も名乗りなさい」
「だって父さん。うちみたいな貧乏貴族、姓なんか名乗ってもしょうがないじゃ
ないか?俺は、フィリップ。ただのフィリップです」
「いや、はや。お恥ずかしいです。不肖の息子でして............」
「いや、物怖じせずに堂々としておる。どうだ、フィリップとやら。軍人にならん
か?」
「お言葉ですが、将軍閣下。俺は父さんのような医者になりたいのでお断りし
ます」
「ほお!断るとな。わっはっは」


「気に入った。今日はゆっくりとしていくが良いぞ。さあ、オスカル。この小さな
お客人をご案内して差し上げろ。ばあやが作ったマドレーヌがたくさんあるだ
ろう?」
「はい、父上。あの、アンドレも呼んでもいいですか?」
「うむ」
「ありがとうございます。では、先生失礼します」
ペコリと頭を下げる天使の様な少年に、客人は目を細める。
「本当に賢そうなお子様だ。羨ましいですな」
「実は、息子は、未来の王太子妃付きの近衛兵に内定しております」
「ほう、それはおめでとうございます」

客人は、将軍に勧められた1755年もののワインが注がれたグラスで乾杯の
ポーズを取った。
「貴族社会、足をひっぱる連中が多くて、まだ内密なのですがね」
「けれど、私には話してくださった.........」
「貴方は信用できますから。急に具合が悪くなったところを何の見返りも期待
せずに手を差し伸べてくださった。違いますか?」
「それが、医者の務めなればこそです」

「先の戦争の落としものとでも言いましょうか?戦争先の皇女がわが国に嫁
いでくることになりましたから。体の良い人身御供てとこですな」
「まあ、戦争が終わって我々も一安心てところですね」
「宮廷ではどのような気性の姫君かとの噂で持ち切りです」
「そうですか。ご子息の出世に何が幸運となるか解らないものですな」
「先生、どうですかな?もう一杯。これは息子が生まれた年にブルターニュ地
方の領地で作らせたワインです」
「ほう、メモリアルワインですな。これはかたじけない」
そう言ってグラスを差し出す。ふと視線が止まる。
「寒いと思ったらやはり降ってきましたか」

天上から白い花びらのような雪が途切れることなく降り注いできた。

「雪だ!」
オスカルを先頭にアンドレ、フィリップがばあやの止めるのも聞かずに外に飛
び出してきた。しっかりしているようでも中身はまだ子ども。オスカルは客人の
来訪に興奮しいつも以上にはしゃいでいた。今日は、小言を言うばあやも接客
に大忙しで僕たちまで気がまわらないと、新しい友達を迎え、オスカルはわくわ
くしていた。

雪は途切れることなく天から降り注ぎ、少年達の毛糸の帽子に白い花を咲か
せた。

「なにして遊ぶ?」
「う〜ん、何がいいかな?フィリップも出
来る遊びがいいな」
「俺いいもの持ってる。ほら、見せてや
るよ」
フィリップが取り出したのは鉛の独楽。
相当年数が経っているのか、その表面
には、にび色の光沢が見られた。
「独楽だ。これは、回して遊ぶものだ
ね?
いいなぁ〜」
「オスカルも持っているじゃないか?」
アンドレは横目でオスカルを見ながら
声をかけた。

「でも、ぼくのは、飾り独楽だもの。回したら割れちゃうよ」
「割れる?」と、フィリップが聞き返した。
「うん、陶器製だから」
「おまえン家みたいな大貴族も持っていないものってあるんだ」
「うん、こんな素敵な独楽、初めて見た。強そうだなぁ。以前、サロンに来た子
の木製の独楽を貨してもらった事があったんだ。ずっと父上に買って欲しいって
言ってたのに、もう、大きくなったからいらないだろう。それよりももっと剣の腕を
磨くように、と言われちゃったよ。約束したのに、大人ってずるいな」

「そっか、将軍閣下が親っていうのも苦労するんだな」
「もっとよく見せて」
フィリップはオスカルの手のひらに独楽を乗せた。
「わっ!重い」
「そりゃそうさ、鉛だもの。親父が若い頃、留学先の友人からもらった物だぜ」
フィリップはへへへと笑いながら鼻の下を人差し指でこすった。その得意げな
表情がオスカルの自尊心に小さな炎をつけた。

「ね?フィリップ。ぼく、この独楽、欲しいな。良かったら何かと交換してくれな
いかい?」
「え〜?嫌だよ。これは親父からもらった大事なものだもの。やれないよっ」
たちまち、険しい表情を浮かべるオスカルに待ったをかけたのは、アンドレだ
った。

「オスカル、これは、フィリップのものだから嫌と言われたら仕方が無いよ。
フィリップは、お屋敷の使用人じゃない。わかるよね?オスカル」
オスカルの気性を熟知している彼の精一杯の行動だった。
オスカルは、視線を鉛の独楽に残したまま、しぶしぶと頷いた。

窮地を助けられたフィリップは、感謝の念を込めてアンドレを見た。そして、
アンドレもホッした表情で見返した。
「アンドレって優しいな」
黒髪の少年ふたりは、顔を見合わせて照れくさそうに笑う。
「ちぇっ」
オスカルはいつも独り占めをしている遊び相手を取られたような気がしてあ
まり穏やかではない。

「じゃ、何か勝負して僕が勝ったら............」
フィリップに独楽を返しながらオスカルが言った。
「オスカル、往生際が悪いぞ」
と、突っぱねるフィリップ。
「.............じゃ、いい。僕、屋敷に戻る」
そのしょぼくれた態度を見て、アンドレはうろたえてしまった。

確かにこいつは気性が激しくて、一度言い出すと手に負えない時もある。
でも、こいつの落ち込んだ顔を見ていると何でも叶えたくなってしまうのはどう
してだろう?
いつも勝気なくせに、そんな情けない顔を見せるなんてフェアじゃないぞ。
オスカルーーー

降りしきる雪のなか、オスカルは屋敷に向かって歩き出した。状況が呑み込めな
いフィリップは、あっけにとられている。
「アンドレ、オスカルはどうしちまったんだい?」
「拗ねてるのさ」
ため息まじりにアンドレが答えた。
「あいつが拗ねるとおまえが困るのか?」
「ああ、少しね。ま、いつものことだ。気にするな」
アンドレに窮地を救ってもらったフィリップは、バツが悪そうな顔をした。

「拗ねてる原因は独楽かよ」
「それもあると思うけど、もともと物品欲はあまり無いヤツだから、勝負してもらえ
なかったという事が堪えていると思うね。僕は........」
「成るほどね。ようは勝負すりゃあ気が済むってことか?」
「ああ、そうしてもらえると有り難い。あいつが拗ねた時ほど恐い時はないからな」
「おまえも苦労するな〜」
「仕方が無いよ。ココ以外で暮らしていけないもん」
「切実だな。おまえ、その歳で苦労してンだな」
「だけど、フィリップ。もし、おまえが負けたらその独楽、オスカルにやることにな
るぞ?」
「ふふん、そんな事!接戦でちょっとの差で俺が勝てばいいんだ」
「そんな器用なことができるのか?」
「ま、任せときなって。それより引き止めないとオスカル行っちゃうぜ?」

アンドレは顔を輝かせた。なんのかんの言っても、オスカルのこまる顔は見たくな
い。この感情が、はたして自分のものなのか、祖母からの刷り込みなのか本当の
ことを言うと自分でもわからない.......。
「ありがとう。フィリップ!恩にきるよ。お〜い!オスカーーール。フィリップが勝負し
てもいいって!戻っておいでよーー」

雪にかき消されそうな後姿に向かってアンドレが叫ぶ。
「ホント?」
という声と共に走りよるオスカルの髪から雪の粉が滑り落ちる。その思いがけない
美しい光景に少年達は毒気を抜かれてしまった。

オスカルはニコニコしている。
「じゃ、ナイフ投げなんかどうかな?」
「オスカルは得意だもんな。フィリップはどうだい?」
いつの間にか、アンドレが進行役になっていた。
「俺は、したことないよ。第一、医者の息子が人を傷付けるもので遊んではいけな
いと、親父から止められているから」
「なら、こっそりやってみないか?すかっとするよ」
と、そそのかすオスカル。先ほどのしょぼくれた態度はどこへやら。小悪魔完全復活
だとアンドレは思った。

「独楽が欲しいのなら独楽勝負でと言いたいところだが、こうも雪が積もってきたので
は、無理だな。親父にナイショにしてくれるなら、ナイフ投げ、やってもいいぜ。ただし、
俺は初心者だ。オスカルが左手でやってくれるなら受けて立とう。落ちぶれたといって
も我が家もこれでも貴族だからな」
「わかった」
「俺は親父からもらった独楽をかける。オスカルも父親からもらったものを賭けろよ」
「では、僕は父上から頂いたこの赤いナイフを賭けよう」
「その言葉、忘れるなオスカル」
「男に二言は無い!」
「きまりだな。じゃ、アンドレ、ルールを教えてくれよ」


          


「信じられない。フィリップの勝ちだ」
アンドレの声が上ずっている。もとより、勝負はオスカルを納得させるための半分演
技みたいなものだった。それが、初心者のフィリップが圧倒的に勝利した。
「もしかして、俺って天才かも」
嬉々として言うフィリップの言葉はオスカルの勘にさわった。
「フィリップ。初めてだなんて嘘だろ?」
とにかく、このお嬢様の『勝つ』ことへの執念には頭が下がる思いがするアンドレで
あった。士官学校では、女と蔑まされ、勝つことでしか自身の存在がアピールできない
学校生活。それを、知っているだけにアンドレの胸中は複雑であった。

オスカルは悔しさのあまり、全身を小刻みに震わせている。
「やばい!!」
アンドレがフィリップの手首を鷲掴みにして走り出すのと、オスカルが雪玉を投げつけ
るのはほとんど同時だった。

ーーーーもう、手がつけられない!!ーーーー。

オスカルが後ろでなにかわめいている。聞かなくてもわかる。『今度は雪玉で勝負
だ〜〜!』
アンドレとフィリップは、屋敷に向かって懸命に走る。顔が汗と雪とでぐしゃぐしゃだっ
た。降り注ぐ雪は口へ飛び込み、雪を食べながら走っているような状態だった。

ふたりが走りながら振り返ると、鬼人のような形相でオスカルが迫ってくる。
「わ〜〜〜〜〜、バケモノ〜〜!」
「フィリップのばか〜〜〜〜〜!」

屋敷から騒ぎを聞きつけて大人たちが飛び出してくる。
「ソワソン様、旦那様、オスカルさまたちが!」


          


木枯らしがびゅうびゅうと吹きすさんでいる午後の医務室。

「隊長さんよぉ、なに、ぼんやりしてるんだ。ナイフ早く返してくれよ」
「ああ、すまん」
アランの言葉にオスカルは現実に引き戻された。
「アラン、おまえに兄がいたとは知らなかった。たしか、書類上ではおまえは長男だ
ったな?」
「兄貴は俺がガキん時に留学先で腸チフスにかかって死んだ。まだ15歳だった。こ
のナイフは遺留品のなかから出てきたものだ」
「そうか............」
アランにナイフを手渡しながらオスカルは相槌をうった。
「珍しい、細工だな。これと同じ物を昔どこかで見た事があるような.........」
オスカルは遠い記憶を呼び覚まそうと目をこらした。



          


「全く、名門ジャルジェ家の跡取がなんですか?はしたない。ナイフ投げは危ないか
らと旦那様から固く禁じられていたはずでございましょ?それが、まあ、アンドレや坊
ちゃんまでもが一緒になって、こんなにずぶ濡れになるまで、一体何をして遊んでら
したんですか?」

蒔きがくべられ暖炉の炎がパチパチと小気味良い音をたてている。
ばあやは3人の少年達の頭を代わる代わる拭きながら着替えをするようにうながし
た。オスカルはひとり衝立の向こうで着替えている。

「ばあやさん、ちょっといいですか?」
「なんだい?マリアンヌ」
侍女の一人がオスカルの居間に顔を出した。
「どうしましょう。突然の大雪で足止めをくうお客様が続出されまして寝具が足らない
のです」
「どれ、あたしの出番が来たようだね。こんな事もあろうかと段取りをしておきました
よ。どれ、どっこいしょっと!」
そして、子ども達に向き直ると
「いいかい?おとなしくしているんですよ。特にオスカルさま、いいですね?」
「は〜い、ばあやもお仕事頑張ってね」

「ああ、びっくりした。ばあやが『オスカルさま』だって!」
「そりゃ、おまえに気を使ったんだろうサ」
「なぜ?アンドレ」
アンドレはオスカルの耳に口をよせて
「フィリップがいるから..........」
成るほどとオスカルは納得した。オスカルは男で将軍家の跡取り。今日だけの付き
合いの彼に事細かに説明する必要はない。

「なんだ?内緒話か。感じわりぃな」
「そんなんじゃないよ。それよりもこれは、君のものだ」
そう言ってオスカルは赤いナイフを差し出した。
「オスカル、本当にいいのか?旦那さまに知れたら叱られてしまうぞ」
「約束だから仕方がない。父上だって、僕が卑怯者にならずにすんだことをわかって
くださるさ」
「ま。おまえが納得しているならいいけど、でもちょっと寂しいな。僕のこれとお揃いだ
ったのに」
そう言うアンドレの手には、オスカルのナイフと色違いの黒のナイフがあった。

「あ、思い出した!」
フィリップがすっとんきょうな声を上げた。
「は?」
オスカルとアンドレの声が重なる。
「そのナイフだよ。たしか、それ対になっている作りじゃないかな?ちょっと貨して」
フィリップはふたつのナイフ柄の底を並べてみた。鞘の模様に目が奪われて気がつ
かなかったが、この部分に文様のようなものがあり、その柄がピッタリと合わさった。
「あ?これは........」

「俺の家に、東洋の医学書と一緒に東洋の文献があるのだが、所々に散りばめられた
絵に興味があったので、時々見ていたんだ」
「東洋の文字がわかるの?」
「わかるわけねぇよ。内容を教えてくれたのは親父だ」
「で、何て?」
オスカルは興味深々だ。

東洋の大国の皇帝には、恋人がいたが、身分が違うと引き裂かれ、せめて同じ物を身
につけていたいとの想いで揃いのナイフを作らせた。
『もし、他国が攻め込んできたら、余は一国の主として国を守らねばならない。もし、自
分にもしものことがあったら、その時にまだ余を愛しているのならば、付いてきてほしい』
そう言って、恋人に贈った自害用のナイフだ。だが、実際にそういう目的で使用されたか
どうかはわからないし、アンドレ達の持っているものが本物かどうかもわからないよ。

フィリップの話を聞いたアンドレは、長いこと考え込んでいた。オスカルは先ほどの騒動
の事で父から呼び出しをくらい、後ろ髪をひかれるような思いで、部屋から出て行ってし
まっていた。「父上のお小言がすんだら、ショコラを頼んで来るよ」と言い残して.............。

パチパチと薪がはぜる。長い沈黙の後、アンドレが口を開いた。
「なぁ、フィリップ。頼みがある。この俺の黒いほうのナイフ、預かってくれないか?」
「俺が欲しいのは赤いナイフのほうだぞ?ま、もうどうでもいいけど。全力で走ったから
疲れちゃったよ」
フィリップは欠伸をひとつした。アンドレは考えをめぐらしている。

「恐いんだ。さっきのあの話。このナイフを持っていたら、いつか自分は一番大事なも
のを壊してしまうのではないかと考えてしまう」
「変なアンドレ。理由くらい話してくれてもいいだろう?」
「さっきの皇帝の話、身分違いの恋って言っただろ?それがひっかかるんだ」
「なぜ?」
伸びをしながらフィリップが問う。

「これ以上は言わない。いや、言えない。だって自分のこともわからないのに」
「わかった。さっきから眠いし、面倒くさいから理由は聞かない
「ありがとう」
「うん、今日初めて会ったけどおまえはいいヤツだ。信用できると思う。だから、代わ
りに俺の鉛の独楽をおまえに預けておく」
「ああ、わかった」
「返してほしくなったらいつでも取りに来い」

アンドレは眠るフィリップにブランケットをかけた。そこへ侍女を伴って戻ってきたオス
カル。一人分余ったショコラ。ショコラの湯気の向こうに暖炉の炎が見える。昼間、大立
ち回りのあったノエルの夜が静かに過ぎていく。外では、天から舞い降りた雪たちがダ
ンスをするように舞っていた。


           


「オスカル、そろそろ会議の時間だ」
アンドレが医務室に顔を出した。アランはナイフを懐にしまっていた。
「オスカル、アランになにか言われたのか?」
「あ、いや」
「なにか、考え込んでる?」
「いや、な、アランに『どうしてこんな所に配属されてきたか?』と聞かれたから、わ
たしは、『おまえのような男に会いたかったかもしれない』と答えたんだ」
「で?アランは何て答えたんだ?」
「ふ、ノーコメントだった。ふふふ」
オスカルは、悪戯がばれた子どものように笑った。

兵舎の通路の窓を木枯らしが叩く。
「寒いな。雪になりそうだ。いつかのノエルの時みたいに」
窓の外に視線を投げかけながらオスカルが言った。
「いつかのノエル?」
「ああ、そうだ。アンドレ。いつかのノエルだ雪まみれになったあの日のノエルだ。
あの日を境におまえは自分のことを『俺』と呼ぶようになった。消えたおまえのナイフ。
それから、フィ...........」

「あ、ジャルジェ准将。ここにおいででしたか?ブイエ将軍がお待ちです。お早く!」
「やれやれ、せっかくノスタルジーな気分に浸っていたのに、無粋な」
オスカルはぷうぅと頬を膨らませる。その様を見てアンドレは少し安心した。数ヶ月
前の彼の性急な告白からずっと彼女に気を使ってきた。業務以外で会話をすることな
ど最近めっきり無かったからだ。

「アンドレ、今夜は非番だったな?」
「ああ。そうだが」
「なら、またパリの酒場に連れてってくれ。今夜は飲もう。昔話でもしながらな」

ウィンクひとつ残して彼女は会議室へと消えて行った。             Fin




『あとがき』
5000番のゆきちん様のリクエストです。原作もアニメもお好きなゆきちん様は、
アニメで出てきた『オリジナルなもの』に興味があるとの事でした。
なので、アニメの決闘前夜にオスカルとアンドレの会話に出てきた『鉛の独楽と
赤いナイフ』を使った作品になりました。
ゆきちん様、ありがとうございました。 

読みきり作品でこのように長いのを書いたのは初めてです。(汗”   By無窮




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