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           『星に願いを』



暗黒のビロードの生地に銀粒をまいたように星屑が散らばる。罪人の所にもそう
でない者の所にも変わらず、星の光は降り注ぐ。


コンテルジュリー牢獄。

その夜の帳のなかを、横切る影があった。
「旦那さま、お待ちください。お待ちを」
低い抑えたような女の声がする。
「おお、ロザリー。まだわしに何か?」
「これを。だいぶ前からマダムから預かっておりました」
「これは?」
「王后陛下からの最後の命令を伝えます。この封書をわが友、オスカル・フランソ
ワに届けるように。必ず将軍みずから娘に手渡しするようにとのことでございます」


将軍の態度が豹変した。封書を受け取けとったものの、手が震えてうまく懐にしま
えない。

「王妃さまは、オスカルの生存をご存知だったのか?おまえが話したのか?ロザ
リー」

「いいえ。マダムのお世話をしておりますと、時々昔話のなかにオスカルさまのお
名前がでてらっしゃいました。折に触れ、マダムはこう申されておりました」

「・・・・・・・」
『オスカルのように信念を貫いた人間が、自分の行動を恥じて自害などするはず
がない』


ロザリーは真っ直ぐに将軍を見た。
「お願いです。旦那さま。王妃さまの最後の願いをどうかお聞きとげください。おそ
らくは王妃さまは処刑・・・・。皆がそう噂しています。私は、出入りの度に持ち物を
チェックされます。もう今夜しかお渡しする時がないと思い追いかけてまいりました」

「そうか。おまえ達には最後まで世話をかけるな」

「いいえ、旦那さま、私のほうこそ、実の娘のように可愛がっていただいて感謝して
おります。私は父を知りません。本当にお父さまがいらっしゃるようで幸せでござい
ました」

「うむ、ロザリー。達者でな」
「はい、『お父さま』も!」

走り去る将軍にはあの日のことが生々しく思い返された。

王宮に反旗を翻した衛兵隊。その指揮官であるわが娘。

打ち消そうとしても予感めいたものがあった。娘がみずから描かせた肖像画。ルソ
ーの本を読みふける姿。将軍家に生まれながら、いくつもの段階を経て、革命へと
つながる扉を選択していった娘。あれを男として育てたときから、事は始まっていた
のかもしれない。

細くて、しかし確実な糸が切れそうになりながらも、革命の中核に繋がっていた。今
となっては素直にそう感じる。そして、あれを男として育てようと決心した自分もなに
かの力に生かされていたのかもしれない。


荒れ果てたジャルジェ家の玄関ホール。今はあばら家となったその屋敷で父親は娘
の肖像画を見上げた。


「オスカル、元気でいるか?」
あの出撃の日のように父親は娘に語りかける。
「ベルナール達の打った大芝居は見事世間を欺く事ができた。けれど、旧知の仲の王
妃さまだけは騙しとおせなかったようだぞ?」

将軍は、ふふふと笑った。無人の屋敷に笑い声が響く。冷たい石のフロアは闇のなか、
冷たい光沢を放っていた。


『バスティーユの英雄。王家と人民の間で板ばさみになり、耐え切れずに自害す。その
最期は軍人らしく劇的であった。アーメン』


バスティーユ陥落の数日後に報道された記事だった。オスカルを偲んで泣く人々が続出
した。ロザリーはオスカルの棺に取り付いて狂ったか?と思うくらい号泣した。

『英雄さんの顔を見せておくれ』
中には、そう申し出る人もいたが、ロザリーは

「拳銃であとかたもなく吹き飛んだ姿など見せられません」
とさらに号泣し、人々はそれ以上言えなかった。

無事に埋葬を済ませたロザリー夫妻は、万事うまくいったことを将軍に報告した。将軍か
ら大芝居を頼まれた時、ベルナールは危険を承知で引き受けた。代わりの死体は背格好
の似ている者にオスカルとアンドレの血だらけの軍服を着せて、顔がわからないように細
工した。


「わしは、地獄に落ちても構わない」
手を下したのは将軍だった。死体など、戦闘あとにいけばゴロゴロ転がっている。死んだ人
間は裁きようがない。国王側は裏切り者の捜索を諦めた。将軍も何食わぬ顔して連隊本部
に顔をだしていた。



    


そのふたりは、ノルマンディ-で細々と生き延びていた。一度だけ、父親は娘たちの様子を見
にかの地へでかけたことがあった。その姿を見ることは叶わなかったが遠目から粗末な家の
明かりを確認できた。


会わなくともわかる。あれは幸せだ。

しかし、その粗末な家に再び明かりが灯ることはない。
ある晴れた5月の日に、ふたりは旅立ってしまった。
銀波を超えて未知なる国へ。
混沌とはしているが希望あふれる国へ。

出立の前日、もと使用人のジャンに半ばひっぱられるようにして行ったノルマンディーの港。
うみねこが鳴き、潮風の独特の香りが鼻腔を刺激する。ああ、うるさい。と、うみねこの鳴く様
を振り仰いだ父の目に娘の姿が写った。帆船の甲板に夫と寄り添う娘の表情はは嬉々とし、
自分が断髪した髪は肩まで伸びていた。その姿は、14歳のころの娘の姿を彷彿とさせた。初
めて軍服に身を包んだときの、あの眩しい光のなかの光景を。


「アンドレ、あれを頼んだぞ!」
声にならない言葉で囁いた。

「ジャン、ここの空気はしょっぱいな」
将軍は一言残して港を去った。

「あなた」
アラスの別宅に帰りついた将軍は妻と向き合っていた。

「王妃さまの手紙を渡しにオスカルたちに会いに行きましょう」
「あれとは、親子の縁を切った。それにあれの居場所も知らん」
「嘘おっしゃい!ロザリーからちゃんと聞き出しているのでしょう?」
「・・・・・・」
「ほほ。何年、一緒にすごしてきたとお思いですの?」

厳しい冬が訪れようとしていた。冬の航海は危険が伴う。
「大貴族、ジャルジェ家の者の荷物はこれだけか?」
ため息混じりに将軍は言った。夫人の荷物を入れても手かばん4個ほど。
「あなた、そんな顔をなさらないで。今までの肩書きや責任や立場や、あなたを縛っていた
ものを全部このフランスに置いていけば良いではありませんか?」

婦人の白いしなやかな手が将軍の手を包み込む。そのふんわりとした優しい物言いとやわら
かな温もりに将軍は、ただ無言で頷いた。

「そうだな。旅は身軽な方が良い。おまえがいてくれて良かった」
照れくさそうに妻の額に口付けた。


     


船はすすむ。西へ。西へ。
「全ては、この封書から渡航が始まったのだな」
感慨深げに懐から取り出した封書をしげしげと見つめる。
「あなた、どうなさったの?!」
突然、陽の光に封書をかざす夫の姿に妻は声をかけた。
「見ろ、この封書。インクの臭いがしないから変だと思って!」
妻も同じように陽に透かした封書を見た。

「おお、王妃さま、ありがとうございます。きっとオスカルはこの白紙の封書から貴女さまの
心を想うでしょう!」

今は、亡き王妃に祈りを捧げる老夫妻の姿があった。

船はすすむ。西へ。西へ。
「オスカル、なにを見ている?」
水平線を見つめるその横顔を眺めながら
アンドレが問う。

「海の向こうを」
「そうか・・・。おまえには俺がいるよ。俺が
おまえの家族だ」

ふわりと愛しい夫のぬくもりを背中に感じた。
「うちに帰ろう。お腹の子が風邪でもひいた
ら大変だ」

「心配するのは、お腹の子だけか?」
「ふふん、やきもちか?」


寄せては返す波、波、波・・・。
空にはオレンジ色のグラデーションが広が
り、やがて上空には星の光。

    


「やぁ、アンドレ一番星。綺麗だ」
「おまえの方が、もっと綺麗だ」
「こら!このうまい口め。他の女にそんな事
を言ったら承知しないぞ」

「ははは。それよりもオスカル、クリスマスの相談をしないか?」
「ん?気がはやいな」
「だって、来年の今頃はチビすけに引っ掻き回されているぞ?今年はふたりだけで過ごす最
後のクリスマスだ。特別な日にしよう!」

「うん・・・・・」


暗黒のビロードの生地に銀粒をまいたように星屑が散らばる。罪人の所にもそうでない者の
所にも変わらず、星の光は降り注ぐ。                      
Fin




『あとがき』

特別キリ番の真織さまのリクエストでした。以前、牡丹さまにリクエストしていただいた
『銀波』。
その後のふたりの様子や、もしかして革命の嵐がひどくなった時に、娘夫婦と同じように将
軍も海をわたったかもしれない。できれば、再会して・・という内容でした。王家への忠誠
心の塊のような将軍の腰を上げさせるには、『前置き』が必要だったため『再会』部分まで
書けませんでした。海はどこにも繋がっている。きっと会えるでしょうということでお許し
ください。

真織さま、ありがとうございました。                    By無窮
また、続編を快く承諾してくださった牡丹さまにも感謝です。

                        


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