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     『スターダスト』


オスカルは後悔していた。数日前の屋敷のもみの木の下でアンドレに
告白してから数日が過ぎていた。子どもの頃にやらせてもらえなかっ
たノエルの飾りつけ。それも愛する人との共同作業は、何物にも変え
がたい貴重な時間だった。

今にして思うとなぜその時にさりげなく聞いておかなかったのか?
『アンドレ、ノエルのプレゼント何がいい?』
何十年男として育てられてきたオスカルは、やはり物の考え方が男の
ようであった。物事を縦に見る考え方は、やはり女性としての教育を
幼少時から受けてきた者とは少し違っていた。

ましてや、恋のかけひきなどと言った、高等技術的なことなど考えも
つかない。以前、アンドレから漂って来る安物の香水の匂いに嫌悪感
を覚えながらも、どう態度に表したら良いかわからずに、知らん顔を
していた。あんなにきつい匂い。アンドレ自身も隠せないと腹をくく
っていたはずだが何のリアクションも示さない自分に彼は失望しただ
ろうか?

無論、彼のあの一言『おまえ以外の女には目を向けた事は無かった』。
あれは、彼の本心だと思う。何も好き好んでこんな風変わり生き方を
している者に、命がけで告白するわけがない。彼ならば今までに色よ
い話がひとつ、ふたつ、いやそれ以上あったかもしれない。

男のように考え、男のように振る舞うその生き方は、彼女のなかに、
ふたつの人格を生み出した。
軍人の顔と、ただの女の顔。軍人の顔は、日常生活や仕事の場におい
て非常に都合が良かった。『ジャルジェ家の後継ぎ』。軍人の顔は、
その条件を満たすのにピッタリだった。

では、女の顔は?『オスカルは私の息子だ』。父のこの考え方は女と
しての自分を拒絶するものだった。いつかの、結婚話。あの時に初め
て自分が女であると父から認められたような気持ちだった。あの時に
家の繁栄のための道具として『結婚』が考えられていたなら徹底的に
父に逆らう事が出来たのに、自分の軍隊でのポジションを考えての先
見の行動だったため、ジェローデルの潔い行動がなければ父のために
結婚を受けていたかもしれなかった。

そして、一生、後悔にまみれて暮らす。『わたしもアンドレを愛して
いたのに!』と思いながら・・・。
そうならなかった事を神に感謝したい。人生なんて、少しの要素で真
っ直ぐも、曲がってもいくものだから。もしも、あの時にと思うこと
はあったけれども、結局は自分はアンドレの側にいれて幸せだったの
だと強く思う。

アンドレ------。彼のことを少しでも想うと、すぐに『女の顔』にな
ってしまう。それは、軍務に付いている時にもおかまいなしに彼女の
精神を侵す。それは、一度味を覚えてしまったら自制が効かない毒の
ように・・・・。

今、急速に自分の精神は男から女へと変化しているのだとオスカルは
思う。今まで見ていて見えてこなかったもの。
自分を抱き寄せるアンドレの手はこんなにもしなやかだったか?
軍務で騎乗するアンドレの姿はこんなにも凛々しかったか?
目の悪い人間が、初めて眼鏡をかけた時のように彼に対して何もかも
が新鮮に見えた。

ノエルが迫ってくる。今年は、恋人同士になってからの初めての誕生
日だから、ささやかでもいい。何か特別なことをしたい。けれどもう
まく彼に言い出せない。子どもの頃から負けず嫌いで、努力して手に
入らないものは無いに等しかった。

けれども今、初めて恐いと思う。彼に拒絶されたらと思うとなかなか
『恋人の顔』ができない。全く情けない。コレが荒くれ兵士を纏め上
げる噂の女隊長と同一人物だろうか?と自分でも飽きれてしまう。と
にかく、わたしは恐いのだ。彼に寄りかかりたいと思いながら、かつ
て彼にしなだれかかったであろう娼婦の姿を思い起こしてしまう。


  


「隊長!隊長!」
はっとして顔を上げるとデスクの前にフランソワが立っていた。
「すいません、何度ノックをしても返事がなかったものですから
 勝手に入室しました」
「ああ、すまない、考え事をしていた」
「いえ、それよりも来週の夜勤の勤務表です」
「ああ、ありがとう」
オスカルは、今は勤務中だからと自分に言い聞かせながら自分の気持ち
を現実に引き戻した。だが、名簿のなかのただひとつの名前に反応して
しまう。

「来週の夜勤は、おまえとアンドレ・グランディエだな?」
「はい、そうです。ここだけの話ですがアラン班長じゃなくて良かった
 です」
アンドレが来週は夜勤。一緒に屋敷への帰途につけない。その事ばかり
気になりながら言葉のあやとしてオスカルはフランソワに聞く。ほとん
ど形式的に。
「だって、アラン班長は人使いが荒いから。その点アンドレなら大丈夫」
「どう、大丈夫なのだ?」
「優しいし・・・・」
当たり前だ。わたしの惚れた男だ。
「頼りになるし」
ああ、彼のあの胸・・・・。
「誠実だし」
わたしを何十年も見ていてくれた。しかし、娼婦を抱いたことだけは仕
方が無い事とは言え、気に食わない!

フランソワと、入れ違いにアンドレが入室してきた。
「隊長」
「なんだ?」
オスカルは、他人行儀なと思いながらも上官の顔を作る。
「今日は、寄るところがあるから屋敷までの護衛はできません」
「寄るところって?」
「上官でも言えません」
素っ気無い彼の態度に物足らなさを覚えながらも『今は仕事中』を言う
言葉を頭に叩き込むオスカルであった。

気になる。帰宅したオスカルはアンドレの『寄るところ』が気になって
眠れない。気晴らしに鏡台の前で髪をとかす。ブラシに溜まった金の髪
を屑入れに捨てる。宮廷に伺候していた頃の貴婦人たちの会話を思い出
す。『そりゃあ、マダム。殿方は豊満な方のほうが良いに決まっている
じゃないですか?』
扇で口元を覆ってはいても、不思議と声のトーンを落とすと、普通の話
し声と波長が違うのか、囁き声はつい耳に入ってしまった。

『まさか、アンドレは?』自分以外の女を抱いている?考えてみると、
彼と想いが通じ合ってから初めてのひとりの夜。無い時は失う事など恐
くはなかった。わたしは、こんなにも臆病な女だったのか?
カタン----。ブラシを鏡台の上に置くと寝台に横になった。なかなか眠
れない。これが思慕というものか?以前のかの貴公子に抱いた憧れのよ
うな気持ちとは似て非なる気持ち。

寝所に差し込む、一条の光。
「オスカル、眠ってしまったか?今日はすまなかった。おまえにピッタリ
 のプレゼントを探すのに手間とってしまった。」
彼はオスカルの金の髪を一房持ち上げると愛おいしそうに口付ける。彼女
が起きていたならきっと喜びそうな極上の口付け・・・・。

オスカルは夢を見ていた。彼に優しく抱き上げられる夢。そのまま、寝台に
下ろされ、そして、口付けを交わす。
「アンドレ、わたしの全てをおまえに・・・・」
そこで、目が覚める。分厚いカーテンの隙間から差し込む朝の光。オスカ
ルはぶるるっと頭を振った。夢のなかの自分な何と大胆だったのだろう。
あれが、自分の願望?いや、でもきっと彼は待っている。自分から言い出
すのを待っている。そんな気がした。彼は必要以上にわたしに触れない。
まるで、見えない壁があるかのようにピタリと愛撫が止まる時がある。
訝しそうに見上げる彼女にこまったような笑みを向け、おやすみの挨拶を
して去っていく。

あれは、つまり、自分から結界を張っているようだ。とオスカルは感じた。
まだ、わたしに気を使っているのだろうか?以前の『性急な告白』のこと
なら気にしていないのに。そう彼に言いたかった。でもいきなりその話題
には触れにくい。彼はきっとこまった顔をする。あの行為は彼にとっては
人生の汚点。彼は自分自身に厳しい人だから・・・。

そんな彼だからわたしは愛した。ただ一心に自分を想ってくれる気持ちに
心が動いた。『性急な告白』以来、彼から言葉にされたわけでもない。ま
してや、態度で示されたわけでもない。それでも言動の端々に愛情が感じ
られた。

「わたしのアンドレ・・・・」
声に出すと陳腐なセリフ。でも言わずにはいられない。
「わたしだけのアンドレ。愛しています」
もう、ここまでしか言えなかった。涙が溢れてきて・・・・。


  


「なぁ、アンドレ」
フランソワが話しかける。夜空に星が瞬く夜の勤務。
「こないだ、うちの母ちゃんが隊長のことを、綺麗だって褒めていたよ」
アンドレは、この歳の離れたそばかすだらけの少年を弟のように思っていた。
「あいつは、目立つからな」
その言葉には、甘い含みがあった。あの告白以来、自分の気持ちを押し込め
るのに必死なのはアンドレも同じだった。勤務中は意識してオスカルのこと
を『隊長』と呼ぶようにしていた。うっかり『オスカル』と呼んでしまうと
彼女が潤んだ目で自分を見上げるような気がして恐かった。自分たちの関係
は世間で言う、『道ならぬ恋』だから決して露見してはいけない。一生結婚
なんか出来ないのはわかっている。オスカルが結婚話を断ってくれ、自分も
また独身で過ごす。それだけで良いと思った。彼女が一生誰とも結婚しない
のならば、軍隊をやめる必要はない。軍隊をやめなければ自分も護衛の任を
解かれることはない。

だから、この恋は何が何でも秘密にしよう。たとえ、周りを欺いても・・・。

「アンドレ」
唐突に話し掛けられ、彼は現実に引き戻された。
「うん?」
黒曜石の瞳が優しい光を湛えている。
「あのさ、隊長のことなんだけど、なんだか最近、ぼんやりしている事が
 多くなったみたいなんだ。どこか悪いのかなぁ?」
「う・・・ん。今週は夜勤なので、あいつの顔を見ていないから・・・・」
「今度気をつけてみなよ。司令官室でぼ〜としてるから」
「ああ、ありがとう。フランソワ」

オスカルの『ささやかなノエル』の願望は、アンドレの夜勤のため相談でき
ず、彼女は頭を抱えていた。大げさなプレゼントは気がひけたし、彼の欲し
がるものは、あまりにも近くにいすぎて見当もつかなかった。平民と言えど
も、彼は貴族の屋敷住まいなので不自由しないだけの物は持っていた。

結局、彼女は思い悩んだすえに、何か自分にも出来ることで彼に喜んでもら
えたらと考え、ばあやの部屋を訪れた。
「お嬢さま、ばあやは嬉しゅうございます。やっと女らしいことを始める気
 になってくださったのでございますね〜」
「い、いや、そう言うわけでは・・・」
言い訳をしながらマロン・グラッセの部屋に消えるオスカル。


  


ノエルの夜。誕生日の晩餐のあと、オスカルは自室で待ち人の到来を待って
いた。今までにこんなに待ちわびたノエルはなかった。いつでも彼に会える
のに早く来て欲しいと思う。こんな小娘みたいな心境になるなんて、ロザリ
ーに言ったら笑われてしまうだろうか?

コンコン・・・。
アンドレが扉を開けると、フルーツ・ティーの良い香りが立ち込めていた。
「ああ、良い香りだ。これはオレンジ・リフレッシャー?」
「うん、そう」
「ショコラ持ってきたけど・・・・・」
「もちろん、いただくよ」
「でも、おまえ、ティーを飲んでいたんじゃないのか?」

オスカルは彼の言葉などお構いなしにポットからティーを注ぐ。不慣れな手
元は震え、それでもこぼすまいとカップを彼の所に持ってきた。
「アンドレ、わたしから・・・ノエルのプレゼント!」
彼にカップを手渡しながら彼女が言った。
「え?」
「わたしは、女らしい事はなにひとつできないから、せめて、おまえの好き
 なティーの入れ方を覚えようと思ったのだ」
「オスカル、おまえ・・・・」
「ふふ、このテーブルクロスも母上の部屋から拝借してきた。わたしの部屋
 には、こんな花柄のものなど無いからな」
「いただくよ。オスカル」
彼はカップをすすった。

「おいしい・・・・!」
「おまえ、昔からこのティーが好きだったな」
ふたりソファーに並んで腰掛けながら、それぞれにカップに口をつける。
「そうだな。落ち込んだ時にいつも飲んでいたから習慣になってしまった
 よ。このオレンジの香がなんとも言えず陽気な気分にさせてくれる」
「おまえの落ち込んだ姿なんて、想像できないな」
「そうか。これでもいろいろと悩んでいたんだ」
「ふ〜ん、たとえば?」
「そうだなぁ。たとえば・・・あの時とか・・・」
「あの時?」
「ほら、おまえがフェルゼンと別れた時・・・」
オスカルの顔色が変わる。わずかの恐怖と驚愕と・・・。そして甘酸っぱい思い。
初めて異性だと意識した幼なじみ。

「わたしは、あの時のことを怒ってはいない。あれが無かったらおまえの気持ち
 に気がつかなかった。わたしは、いつかこの事を伝えたいと思っていた」
「だが、軽蔑しただろう?」
オスカルはゆっくりと頭を横に振る。
「彼に別れを告げられ自分は世界で一番不幸だと思っていた。ひとりで心の淵に
 沈み、一人で悲劇のヒロインを演じていた。今にして思うと優しい慰めの言葉
 など無意味だった。わたしはあの時、誰かに抱きしめて欲しかったのかもしれ
 ない。覗きに来てくれたのが屋敷の誰かならわたしは弱みなど見せなかった。
 おまえだったから・・・。おまえだったからこそ、寄りかかりたかった。これ
 って、つまり自分でも意識しないうちにわたしは、おまえを愛し始めていたの
 かもしれない」

ふたりの間に流れるオレンジの香り。優しく甘い香りがふわんと鼻先を掠める。
「そっか、それは心外だな」
「うん・・・」
アンドレはティーを飲み干すと上着のポケットから小さな包みを取り出した。
「オスカル、誕生日おめでとう。これは俺から」
黄色の箱に白のリボン。
「ありがとう。何だろう?」
「開けてごらん」
オスカルはそっと包みをほどいていく。
「!」
オスカルの指は華奢な鎖を摘み上げた。
「これは?」
「子どもの頃、夜空の星を欲しがっていただろう?」
「そんなことあったっけ?」
「あったよ。夜中に抜け出してさ。もみの木によじ登っ
 て、下りられなくなって大泣きしたじゃないか?」
アンドレは、両手を彼女に差出し立つように促した。
そのまま、鏡台の前に連れて行く。
「覚えてないぞ」
「ふふ。またはぐらかす。
ちゃんと覚えてるくせに」
「お見通しか・・・」
「そうさ、おまえの事なら皆わかっているさ」


そう言ってアンドレは鎖をオスカルの首につけた。鎖の先には小さなダイヤ。
星屑のような可憐なダイヤ。

「これなら仕事中でも邪魔にならないだろう?オスカル」
しばしの間、自分の胸元のネックレスに見入っていたオスカルは彼に問うた。
「もしかして、これを探すために、あの時に護衛はできないと言ったのか?」
「そうさ。本人を連れていくとばれるじゃないか?そんな、基本中の基本だぞ」
オスカルは、ほぉ〜と息を吐いた。
「何だ?」
「どこに行ったのかと一晩中悩んでいた」
「は?なんで・・・」
「以前、娼館通いしてただろう?もしかしてと思った」
小声でそういう恋人を彼は後ろから優しく抱きしめた。
「俺にはおまえしか見えてないのに、もうそんな所へなんかへ行くものか」
「だって、仕事中もよそよそしいし・・・」
振り返りながら彼女は、上目使いで彼を見上げた。
「どこかで線を引いておきたかったんだよ」
「以前は、仕事中でも名を呼んでくれた」
すねたように彼女が訴える。
「以前は・・・・・」
と彼は言いよどんだが一気に言葉を吐いた。
「以前は、俺はおまえに男として見られていないということで自分の感情をコ
ントロールしていた。でも気持ちが通じあってからは、歯止めがきかなくなり
そうで。だから、あえておまえを隊長と呼ぶようにした」
「そうだったのか・・・。そうだな。仕事中はまずいよな、やっぱり」
「うん・・・・」
「でもアンドレ。わたしも歯止めが利かなくなってきているかもしれない。お
 まえが他の女といるところを想像すると胸がムカムカする。お互いに自分の
 ものだと名前が描ければいいのに・・・」
ポットに残ったティーの残り香りが鼻先を掠める。オレンジの香り・・・。

「なら、描いてみるか?」
「どうやって?」
「こうやって」
アンドレはオスカルを抱き上げた。
「おまえが描いて欲しいのなら体中に俺のものだって刻印をつけてやるよ」
彼女は考えをめぐらしている。
「嫌ならやめとく?選べ。オスカル」
彼はオスカルの額に口付けた。
オスカルは夢のなかの自分の姿を思い浮かべていた。
「アンドレ、わたしの全てをおまえのものに・・・・」

彼が蝋燭の明りをひとつひとつ落としていく。オスカルは彼の腕の中で夢物
語のように、それを眺めていた。
「愛しているよ。俺だけのオスカル」
彼の唇は、彼女の肌にひとつひとつ刻印を施していく。胸元で可憐に光る小
さなダイヤ。その輝きは夜空の星屑のようであった。

星降る夜に・・・・。                                Fin




『あとがき』
最後となったこの作品。リクエスト者のGrace様から頂いた内容は
『オスカルが自分の誕生日の事を忘れているような素振りのアンドレに
やきもきする』と言ったものでした。それに無窮が『もみの木』の続編
という形で着色しました。
リクエスト頂いたGrace様。そして、続編にご承諾頂いたあつ様、
有難うございました。

作品、一部手直しをしました。オスカルが入れたオレンジ・ペコの紅茶は
オレンジの香がしないのです。物語中、オレンジの香のするお茶を使いた
かったので店を回り、オレンジの香のするお茶を探しました。オレンジリフ
レッシャー。純粋な紅茶ではないけれどフルーツ・ティーという名でならあ
りました。
                                         無窮

                

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