『BEAUTIFUL NAME』


男は、女の額にはりついた髪をそっとかきあげた。先ほどの行為
の最中のような悩ましげな表情はなりをひそめ女の顔には無垢な
表情が広がっていた。
「オスカル・・・」
男は自分の女神の名を呼んだ。

本当にこれで良かったのか?男は女の顔を見ながら考えを巡らし
ていた。確かにおまえの同意を得ての行為だった。しかし、初め
ての女というものが自分の想像以上に激痛を伴うものだとは知ら
なかった。自分が女の内に身を沈めたときに女の表情に走った苦
痛の影。途中でやめてしまおうとする男に女は引き止めるように
言った。
『このまま、死んでしまっても構わない!』

うっすらと涙さえ浮かべながら言う女を見て、男の内に残ってい
た最後のひとかけらの理性がふっとんだ。一言もうめき声をもら
すまいと、女は下唇をかみ締めていた。男は堪らずに女に口付け
た。初めての相手に対して、もっと労わりながら事をすすめると
いう男の計画は、もろくも崩れ去り女の寝顔を見ながら目覚めた
ら何と声をかけようかと考えあぐねていた。

「オスカル・・・」
愛おしさがこみ上げてきて、再びその名を呼ぶ。これが俺の声か
と男は思う。?今まで何度も呼びなれた名前。けれども、今の自
分の声音には甘い疼きがあった。
「ん・・・・」
女はまだ混沌とした意識の中を漂っていた。


  


ーーわたしは、誰?ーー

女は自分の名を思い出そうとするけれど、また意識の底から腕が
伸びてきて、浮上しかけた自分を底まで引きずり込む。暗闇だと
思った底の世界は、まばゆい光で満たされていた。自分の足元か
ら段が始まり、下へ下へと伸びてゆく。たくさんの段は階段のよ
うな形状になり自分の足元には大理石のフロアが存在していた。

後ろを振り返ってみても自分の立っている場所以外は、切り取ら
れた様に何もなく下へ伸びている階段を降りてゆくしかなかった。

コツン、コツン。一歩一歩、光の中を降りてゆく。
ふ・・・と、階下から射るような視線を感じた。黒曜石を思わせる深
い瞳に驚愕と羨望の混じった感情を感じる。女は思わず少年に問
うた。

『君、名前は?』
『ア、アンドレ・グランディエ・・・・。君は誰?』
女は返答に窮した。
『わたしの名は・・・』

降り注ぐ光はますます輝度を増し、やがて目も開けていられなく
なった。再び、目を開けたとき愛しい男の顔がとびこんできた。


  


「あ・・・、アンド・・レ」
「オスカル、大丈夫か?」
男は月並みな言葉しかかけてやれない自分にもどかしさを感じな
がら労わる様に女を抱き寄せた。
「あ・・・?わたしは、気を失っていた・・・の?」
「すまなかった・・・・」
「何を言う。アンドレ。わたしは、こうしておまえに抱かれていると
 とても安心するのに」
男の心臓の鼓動を直に聞きながら女はポツリポツリと話し始めた。

「わたし達が出会った頃を思い出していた」
「そう・・・」
「わたしは、あの瞬間、魔法にかかったのだ」
「魔法?」
「そう。アンドレ・マジック・・・」
「なんだ。それは?」

明るく受け答えをする女に男は少々安堵した。
「わたしは、アンドレに会うまでは目上の者に逆らったことなど無
 かった」
「うそだろ〜?」
男の目元が悪戯っぽく笑っている。
「ばあやに、口答えなどしたことがなかった」
「まさか!俺の知っているおまえは、いつだってやんちゃで、俺は
何度泣かされたことか・・・・」

女は、ふふふと笑う。
「同志って言ったら変だけど、おまえに会った時にそんな感覚だった。
 一緒に悪戯をする同志。宮廷に伺候してからは、好奇な目に立ち向
 かう同志・・・」
男の脳裏に女だとさげすまされる女の姿と、平民だとさげすまされる
自分の姿が浮かんだ。
「なるほど・・・な。うまく言い当てたものだな」
思わず男は呟く。

さらに女の言葉は続く。
「そして、恋慕う者同志」
「うん、おまえはフェルゼンに。俺はおまえに・・・」
「ごめん。訂正する。恋い慕う者同志ではなく、両想い[同士]・・だ」
「!。だって、おまえはフェルゼンを?」

女はサフャイヤの瞳を煌かせながら言葉を続けた。
「今更・・とおまえは思うかもしれないが、わたしは最初からおまえに
 恋をしていた」
「どういうことだ?オスカル」
「おまえの体つきが自分とは違う事に気が付いた時、うまく言えないけ
 ど、わたしとおまえは、別の種だと感じたのだ。たくましい男の体と
 どれだけ訓練しても、細いままのこの体。最初は、おまえを妬んでい
 たんだ」
「初めて聞いたぞ」
「うん。言う機会が無かったから」

『四六時中、一緒にいたのに、そんなことあるもんか』と男は思った。
けれども、この発言は今まで家の為にと、その細い肩に責任を担ってき
た女には言えなかった。
「で、妬んで、それからどうしたの?」
「憧れて・・・」
「で?」
「いつの間にか、目でおまえを追っていた」
「そういえば、俺がどこかでサボっていると目ざとかったな。そう言う
 ワケだったのか・・・」
「ふふふ。そういうワケだ。そのお陰で悪い虫もつかずに済んだし」

呆れたというふうに男はため息をついた。
「そう、しょげるな、アンドレ。悩んでいた時があったから今がある。
 そうは思わないか?」
「・・・・・・」
「な、何をする」
「今更そんなことを言う悪い口をこうして、ふさいでやる!」
男は、女を押さえ込むと自らの唇で女の唇を塞ごうとした。

「ま、待て!まだ続きがあるんだ」
「続き?」
「うん。わたしは最初からおまえに恋していた。まだ、その気持ちさ
 えおぼろげで、はっきりとした自覚は無かった。が、確かに男とし
 てのおまえに惹かれていた」
「そうは、見えなかったがな・・・・」
「自分の心を必死で隠していたから」
「なぜ?」
「あの頃のわたしは、自分を女だと認めたくなかった。家の為には男
 でなければならなかったのだ・・・・。」

男は、無言で頷いた。女の背負った過酷な十字架の重さを知っていた
から・・・・。
「成長してからは・・・・」
女は話を続ける。
「成長してからは、身分違いの恋はご法度だと思ったから。おまえの
 ような誠実な男が貴族社会にいればと考えた時期もあった。そんな
 時フェルゼンに出会った。パリの仮面舞踏会でだ。彼の教養や気質
 に胸がときめいたのは確かだから否定はしない。けれど・・・」
「けれど、何?教えてオスカル」
「けれど、わたしは、フェルゼンの姿におまえの姿を投影していた。
 こんな時にアンドレだったらと思うときが何度かあった」

男は再び女を強く抱き寄せた。
「でも、誰もおまえの代わりにはならない。身分違いなど、微々たる
 問題だ」
男の胸に抱かれながら甘えるように女は言った。その胸に頬をすり寄
せながら、以前から疑問に思っていたことを投げかけた。
「さっき、わたし達が出会った頃を思い出していた」
「うん?」
「なぜ、初対面の時、おまえはわたしの名を聞かなかった?ずっと不
 思議だったのだ」
男は、照れたような表情を浮かべた。
「階段を降りて来るおまえが、あまり
に神々しくて自分の名を告げるだけ
で精一杯だった。もっとも、その後、見
事に裏切られたけど」
「わたしが、何か裏切ったか?」
「ああ、おばあちゃんから天使のよう
なお嬢様と聞いていたからな」
「天使のようだっただろ?少なくとも
おまえにとっては!」
「強気な発言だな。さっきとは、別人み
たいだ」

女の頬が、さくら色に上気する。
「ふんっ」
くるりと男に背を向ける。
「天使だよ。少なくとも俺にとっては・・・」
その天使は今、男の腕の中。
「だから、ご機嫌を直してください。俺の天使・・・・」
「じゃ、あの時に聞かなかったわたしの名を聞いてくれたら許す」
「顔が見えないと聞けないな」

「どこまでも意地悪なヤツだな」
女はくるりと寝返りを打ち、男の顔を覗き込んだ。男は笑いながら
「じゃ、聞くぞ?おまえの名は?」
女は悪戯っぽく微笑む。
「わたしの名は、おまえが言って・・・・」
「??オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」
「ちがう!」

そう言うと女は男の耳元に何かを囁いた。男は弾かれたように上半身
を起こすと女の上に半ば覆い被さるような体勢で聞いた。
「本当にいいのか?」
「うん。だから、わたしの名を呼んで?」
男は震える唇でその名を呼んだ。
「・・・・・・」
「何だ?自信がないのか?意気地のない男だな」

男の手が女の頬をなでる。
「そうさ。俺は意気地なしだ。さっきから後悔している」
「何を?」
「おまえに苦痛しか与えなかったのではないかと・・・・」
項垂れたような男の表情を見て女は言う。
「わたしが苦痛だったかどうか、もう一度確かめてみて」
「いいのか?」

女はコクリと頷くと言葉を続けた。
「なら、今度は、きちんと名を呼んでくれる?」
「ああ、約束する・・よ」
女の腕が男の首に巻きつく。ふたり、再び星屑の世界に落ちてゆく。
秘めやかな星の世界へ・・・・。

名前。わたしがわたしである証。全てが終わった時に、そのテノールの声
で名を呼んで欲しい。今宵、おまえによって、わたしは女になった。湧き
上がってくる女の感情。新たなる気持ち。だから、おまえが名を付けて?
新らしいわたしに。

『オスカル・フランソワ・グランディエ』・・・と。            Fin



『あとがき』
これで、2002年のクリスマス作品は全部終了です。オスカルがジャルジェ
の名前を捨てる事って勇気がいったのかもと思いながら書きました。
『スターダスト』の続編のご許可を頂いたGrace様に感謝します。

当時、掲示板やメールでたくさん、たくさん、ご感想を頂きました。とても
幸せなことだと思います。月並みだけど、有難うございました!!

なお、クリスマス作品に花を添えさせてもらった『薔薇のリース』は夫の折
り紙作品を画像として使いました。(笑                 無窮



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