『翼』



 『お前に褒美を取らせよう。何がいい?
 アンドレ』
 『旦那様、僕、ご褒美なんか要りません』
 『欲のないヤツだな』
 『欲しいものは無いけれどお願いがあり
 ます』
 『何だ?言ってみろ』
 『はい。撲、ずっとオスカルの傍にいたい
 のです』
 『ああ、なんだ、そんな事か。もとよりそ
 のつもりでお前を引き取ったのだ。いい
 だろう。オスカルの事はお前に頼んだぞ』
 『はい!旦那様』

    

ジャルジェ将軍は、月明かりの中暗い部屋の中に佇んでいた。
ときおり通り過ぎる風で庭の梢がさわさわと音をたてた。ふく
ろうの羽音が聞こえるそんな夜中に屋敷の主である彼は使用人
の部屋に来ていた。

ひとたび静まっていたうめき声が聞こえ出し将軍は視線を下に
下ろした。決して贅沢とはいえないが造りのしっかりとした寝
台に横たわる大きな影。

出会った時は小柄な少年だった。真っ黒い髪に利発そうな瞳。
その瞳の片方は包帯で巻かれ時折その唇からはうめき声が漏れ
る。

「アンドレ、すまんな。許してくれ」
将軍は、寝台に歩み寄りアンドレの額の汗を拭った。
「私が、昔お前と交わした約束は、こんな風にお前を苦しめる
 ためでは無かった」
吐き出すように将軍は呟いた。昔アンドレと交わしたあの約束。

『はい。撲、ずっとオスカルの傍にいたいのです』

自分はそれを承諾した。息子のいない自分はアンドレの何もか
もが羨ましかった。日々、成長してゆく姿を見ながら自分に息
子がいたら!と何度想像した事だろう。

もしもオスカルを令嬢として育てていたらアンドレを養子に迎
え後継ぎにと望んだかもしれない。貴族の爵位を金で買う。
自分にはそれだけの財力がある。そう何もかもある。しかし
息子はいない。これだけは望んでも不可能だった。

アンドレと出会った時。娘は自分の事を男だと思い込んでいた。
そう思い込ませたのは自分だった。その状態で急にアンドレを養
子にして自分の後継ぎにすると言い出したら娘は傷つくに違いな
い。自分はアンドレと出会うのが遅すぎたのだ。ふたりの子ども
はもう口先での刷り込みがきく年齢ではなかった。しかし、女の
性を無視する事はできなかった。心は男でも体は女性化してゆく。

娘の仕官学校在住中にその『時』はやってきた。
『次、ジャルジェ君、構えて!』
剣の授業中の出来事。朝から腹痛を訴える主人を気遣い少年は授
業の付き添いの許可を将軍に求めた。あの痛がり方はいつもと違
うと訴えた。
教官と稽古を続けるオスカル。薬が効いてきたようでいつもより
は動きが鈍いがどうにか授業をしのげるだろう。そう少年が安堵
した時にそれは起こった。

キュロットに広がる真紅のばら色・・・。
少年は無礼を承知でふたりの稽古の間合いに飛び込んでいった。
「な?無礼な」
「すいません。ジャルジェ将軍から申し付かっておりました。
 今日はオスカルさまの体調が思わしくないので様子を見るよう
 にと」
「ふん、しょせんは親バカだな」
アンドレは下唇をかんだ。
「何か聞こえたかね?」
「いえ、何も。主人を連れ帰りたいのですが宜しいでしょうか?」
「早退届けを出してからにするように」

少年は自分とあまり背丈の変わらない主人をかばうように連れ帰
った。仕官学校に出入りするのだからと祖母が縫ってくれた新し
いお仕着せで大切な彼女を包みこみながら・・・・。

「アンドレ、よくやってくれた」
「はい、旦那様、現場に居合わせた方々には、足の怪我だと言っ
 ておきました」
「そうか、ではお前に褒美をとらせよう。何がいい?」

    

「・・・ううう・。逃げろオスカル・・・」
うめき声がまた上がった。夢を見ているようだ。
「すまんな、アンドレ、オスカルの考えなしの行動でお前の眼を
 傷つけてしまった」

黒い騎士の身代わり作戦。将軍は、オスカルがアンドレに黒い騎
士の偽者を無理強いしたことを知らなかった。今夜、帰宅したら
主治医が慌てふためいて到着したのでワケを聞いてみて初めて無
謀な計画を知った。

アンドレを連れ帰った娘はいつもの機敏さはどこへやら。ただた
だ女のように泣くばかり。いや、もとより女なのだが将軍の知っ
ている娘の顔は女だてらに不敵な表情をたたえ男どもに渇を入れ
る女軍神だった。

それが・・・・・まるで女の顔。

再びうめき声があがった。
「オ・スカル・・・。あいして・・いる・・・」

ドアを開けかけた将軍の体がピクリと反応したが、ゆっくりとド
アを開けて廊下に出た。

『はい。撲、ずっとオスカルの傍にいたいのです』

将軍は初めて少年の頃のアンドレの言葉の意味を知った。
とにかくあのバカ娘に単独行動をとるなと釘をささなければなら
ん。あれの気性はよくわかっている。アンドレの敵討ちなどと言
って単独でどこかに出向いてゆくかもしれん。

ひたひたと小さな足音が聞こえ彼は思案中の顔を上げた。
「父上?」
「オスカル。こんな夜中にどこに行く」
ブラウス姿に上着を羽織った格好の娘を見て将軍はひとまず安堵
した。夜中にこっそり抜け出して敵討ちに出かけるわけでもなさ
そうだ。が、かなり思いつめた顔をしていた。

「アンドレの様子を見に・・・・」
目が合った。充血していると将軍は思った。

『ずっと泣いていたのか・・・。』

「オスカル、泣いてもアンドレの眼は元には戻らん」
「はい、わかっています」
「アンドレは今、苦しんでおる。傍についていてやれ」
「はい。父上」

娘はアンドレの部屋の前に立った。入ることをためらっている。
「オスカル、明日からしばらく休暇を取れ。手続きはしておく」
「わたしが単独行動をしたから軍務からはずすという事ですか?」
「そうだ」
「父上っ!!」

将軍は、眼のつりあがった娘に諭すように声をかけた。
「どのみち、アンドレがいなくてはお前は動けまい。あれはお前
 の片翼だ。翼はふたつ揃わねば飛べん」

父の後姿が廊下の角を曲がるまで彼女はそれを見つめていた。
暗闇に眼が慣れると寝台に横たわるアンドレの姿が識別できた。
父はここで何をしていたのだろう?とオスカルは考えた。

「片翼・・・」

父はどういうつもりであんな言葉を言ったのだろう。普段から親子
の会話などほとんど無かった。結局、わたしが女だから中途半端な
仕事しかできないと言いたかったのだろうか?

    

「オスカルさま、アンドレのお世話は私達がやります」
「良いのだよ。ロザリー。わたしにやらせておくれ」
おぼつかない手つきで彼の包帯を替え、食事を食べさせ、薬を飲ま
せる。初めて体験する感覚にオスカルは戸惑っていた。いつも自分
がしてもらう方の立場だったから・・・・。

「ああ、オスカル。そんな事くらい自分でするよ」
起き上がれるようになってもまだ食事を口元に運ぼうとする彼女の
手をアンドレは制した。
「ずっと気になっていたけどお前、仕事はどうした?確か急ぎの書
 類があっただろう?」
「あれなら副官が処理してくれた。昨日届けてくれた」
「では、出仕は?」
「病欠って事にしてあるそうだ」
「仕事に行かないでずっと俺の世話をしていたのか?」
「そうだ。父上に・・。いや、自分もそうしたいって思ったから」

彼はバツの悪そうな顔をした。
「阿呆なんでお前がそんな顔をするのだ。バツが悪いのはこちらの
 方だ。お前の眼を駄目にしてしまった」
あの夜、剣をやりあうアンドレと黒い騎士。援護しようと銃口を黒
い騎士に向けた。それに気がついた黒い騎士は胸元からムチを取り
出すとオスカルの顔面むかって振り下ろした。とっさに間に入って
きたアンドレにより難は免れたがその代わりに彼の片眼は永久に閉
じられてしまった。

「前にもこんな事があった。仕官学校の時だ。わたしが教官と剣で
 やりあっている時にお前が飛び込んできた」
「ああ、そうだったな」
「あの時もお前の力で難を逃れた。あの日、わたしは初めて自分が
 女だという事を思い知らされた。お前が足の怪我だと言い張らな
 ければ、やはり女なのだという目で見られるところだった。あの
 頃のわたしには女であるという事がハンデになっていた」

見えるはずもない遠い昔の思い出をふたりは見ていた。
「父上が、妙なことを口走っておられた」
「何?」
「お前がわたしの片翼だと・・・・」
「片翼・・・」
「翼が揃わないと飛び立つ事ができないそうだ」
「・・・・・」

アンドレは思い出したように口を開いた。
「昔、旦那様が俺に褒美をくださると言ってくれた」
「褒美?」
「あの時に俺が機転をきかせて、お前を士官学校から連れ帰った時さ」
「ふ〜ん」
「で、何をいただいたのだ?アンドレ」
「何も、いただかなかったよ。オスカル」
「欲のないヤツ」
「欲はあるんだけどな。その時はそれが何かわからなかった。でも今
 お前の話を聞いてわかった」
「何?」
「片翼・・・」

『片方の翼では飛べない・・・』

「お前がわたしの片方の翼?それはどういう意味だ」
アンドレから目を添らしながらオスカルは独り言のように言った。
「さぁてね、俺は旦那様ではないから意味はわからないよ」
「嘘だ。その顔はわかってるって感じだぞ」
「相変わらずスルドイな」
「ああ、お前の事なら何でもわかるぞ」
「何でも?」
「ああ、そうさ」

軽く答える彼女にアンドレは苦笑した。
「いいや、きっとわからないよ。俺が長年どんな気持ちでお前の傍に
 いたかなんて・・・」
「なんだよ、そのバカにしたような言い方」
「いや、好きだよ。オスカル」
「なんだ。やぶから棒に。わたしもお前が好きだぞ」
「じゃ、試してみようか?」
「いいぞ!」

再び彼は苦笑した。
「やな表情だなアンドレ。いかにも自分はわかっていますって感じだ
 ぞ」
「ああ、ごめん。そんなつもりじゃないんだ」
彼女は寝台のアンドレにくるりと背を向けた。
「本当は父上にお前がわたしの片翼だって言われた時に、どきりとし
 たのだ。自分が役立たずだと言われた気がしたから。でも・・・・」
「でも・・・何?」
「言葉にするのは難しい」
「じゃ、実行してみる?」
「その実行の意味がわからない」
「ははは。お前はそういう事に疎いからな。ま、いいさ、俺もまだ眼が
 痛いんだ。往復ビンタは敵わないからまた後日って事で・・・」

「なんだ。その後日って?」
彼女はアンドレの寝台に詰め寄った。
「俺、お前のそういう鈍いトコ好きだよ」
彼の胸元に拳を当てようとしていたオスカルはそのままその胸に抱きと
められてしまった。

身動きが取れない!でも・・・・。

「オスカル。俺の眼のことならもう気にするな。お前に世話してもらえ
 るなんて思ってもいなかったから嬉しかったぞ」
「う・・・・」
そう耳元で囁く彼の声が体の奥にズンと響いた。なぜだか顔を合わせる
のが照れくさくてそのまま彼に抱かれていた。

でも・・・・。
とオスカルは思った。

相手がアンドレだったら嫌じゃない・・・・・。

片翼は互いに寄り添い羽を休めた。オスカルの心に芽生えた不思議な感
覚。これから春へと向かう日差しにも似たあたたかな感覚をオスカルはか
みしめていた。

片割れの翼に包まれながら・・・・。

                                        Fin

    

『あとがき』
バレンタイン。なにか書きたくなりました。チョコレートが出てこない
のはなぜ?というツッコミは無しにしてください(逃げ

最後の一文、気に食わなかったので訂正しました。(2/6記



     





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