チョコレートの贈り物 1話

            
以前は、こんなではなかった。

アンドレ・・・。

その名を考えると動悸が早まる。
その姿を少しでも見てしまうと目をそらしてしまう。

なぜ?長年見慣れた顔だ。
なぜ?長年、聞きなれた声だ。
その体臭も仕草も全部、わたしの頭の中にインプットされて
いるのに、どうしてこうも落ち着かないのだ。

以前は、こんなではなかった。

アンドレ・・・。

もう、わたしはお前なしでは生きてはゆけない。
おまえの想いを受け入れるのは怖い。
自分じゃない者の感情が流れ込んでくるのが怖い。
でも、その怖さに魅了される。ぶつかればきっと痛い。
でも引き寄せられる。おまえに・・・。


   


デスクワークに没頭しながら女隊長はため息をついた。
もうすぐ、ヴァレンタイン。不景気とはいえ、女性から愛の告白
ができる日とあり、若い娘たちは色めき立っていることだろう。
女隊長は、かつてのベルサイユ宮殿への伺候のころを思い出し
ていた。

その日は、行く所、行く所、女性が現れてはチョコレートを隊
長に押し付けるようにして渡していった。
「オスカル、またこんなにもらったぞ。おまえのマダムキラー
 ぶりには感嘆するよ。俺にも分けてほしいくらいだ」
「ははは、アンドレ、だったら好きなだけ持っていけ。」
「じゃ、ワインと交換しよう。お前が好きなマルゴーのワイン。
 ちょっとおばあちゃんの目を盗んで厨房から持ってきてやるよ」
「ホントか?アンドレ」
「おう、任せとけ!」

それから始まった、ふたりだけのチョコレー鑑賞会。数日後、
二人の顔にはチョコレートの後遺症の吹き出物ができ、それも又
ふたりだけの秘密だった。
「おい、アンドレ。わたしたち今年はお揃いだな?」
「おや?おまえもそこに出来たか?出来物・・。くくく」

やんちゃな少年同士のようなつきあいは、あの日を境に急変した。

『愛している。愛している。』

男は線のこちら側に踏み込んできて女を驚愕させた。再び男は距離を
おいたが、女の心からは少年の心は消えていた。

『もう、あの頃には戻れない』
ふたりの心の奥底に潜む想い。あれから、ヴァレンタインのささやかな
会も消滅してしまった。

夜、ふたりきりで酒を飲むなど、理性のタガが外れてしまう。
男は、そう思った。
彼に期待を抱かせてはいけない。
女は、そう思った。

あれから、幾日の夜が巡ってきただろうか?職場も変わり、幼馴染は
兵役に服することにより、ふたりの距離は遠のいていった。それでも
遠巻きながらお互いの姿を確認することはできた。

突然の婚約話。求婚者の熱い想い。これも又、近しい者からの感情の
流れだった。この流れに逆らうことなく乗れたら自分は幸せになれる
のか?皆が言うように女の幸せは結婚なのか?

答えはNon!

あの時の彼の刻印がわたしにそれを教えてくれた。

アンドレ・・・。

今年もまたヴァレンタインが巡ってくる。少しだけお前に踏み込んで
今年は、わたしからチョコレートを・・・。

オスカルは机の引き出しを開けた。そこには、銀のリボンのかかった
小ぶりの箱が行儀よく収まっていた。                 つづく


      
                 
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