チョコレートの贈り物 最終話

            
「オスカル、戸棚に鍵はかけたぞ」
「ああ、ありがとう。アンドレ。鍵はいつもの通り、一番上の引
 き出しに入れておいてくれ」
「わかった」
アンドレの部屋の中を移動する靴音が聞こえる。

やがて、アンドレが引き出しをガタガタと鳴らす音が聞こえた。
「お〜い、オスカル。お前、先に鍵をかけたのか?これじゃあ、
 戸棚の鍵、片付けられないぞ!」
オスカルはノロノロと靴を履いていたが、急いで履き終えると、
自分のデスクの所へ移動した。今まで横になっていた仮眠室の
寝具はぐちゃぐちゃなままである。

「ああ、アンドレ、すまないな。そうだ。わたしが鍵を掛けてし
 まった。ここに・・・・」
と言いながら彼女は上着の内ポケットから引き出しの鍵を取り出
した。
「戸棚の鍵を貸して!わたしが片付けるから」
「なんだ?さっきまでぼんやりとしていたくせに・・・・。何か
 知らんが頭がはっきりとしてきたようだな。いや、良かった。
 良かった。お前の寝起きの悪いのは筋金入りだからな!」
それには、答えずオスカルは彼から戸棚の鍵を受け取ると引き出
しを開け、戸棚の鍵をねじ込むようにして片付けた。

かちゃり。引き出しに鍵を閉める。

『ああ、良かった。引き出しに鍵を掛けておいて・・・』
オスカルは、上着の内ポケットにチョレートをこっそりと入れた。
小さな鍵も一緒に入れた。思わず安堵のため息をついた。小さくひ
っそりと。アンドレはちょうど背中を向けていた。オスカルは心の
中でもう一度ため息をついた。

くるりと振り返ったアンドレとマトモに視線が合わさった。先ほど
アンドレへの気持ちに気がついたオスカルは急に彼を意識してしまい、
視線をそらしてしまった。

彼がつかつかと近づいてくる。
『うわ。どうしよう!』
アンドレは心なしかにこにこしている。
「お屋敷に帰ったら、久しぶりに一杯やらないか?」
唐突な彼の言葉に、どう反応しようかと考えているとアンドレは更に
背中に隠してあった物を彼女の前に差し出した。

「どうしたんだ?これ」
「モーザックの発砲酒。パリの酒屋で買った」
「勤務中に酒屋に行ったのか?」
「いや、行きたくて行った訳では・・・・」
「上官として一応理由くらいは聞いておこう」
「上官どの。そう怖い顔をすると美人が台無しですよ?」
「うるさい。この不良部下め。ついにアラン達に感化されたか?」
「いや、これは、ロザリーが・・・」

その言葉にオスカルはドキリとした。ま、ま、まさか、ロザリーのヤツ、
アンドレに何か吹き込んだんじゃあないだろうな?
「オスカルさま、本当はアンドレの事、男性として好きなんじゃあない
 のですか?」
「何を言う!ロザリー。あれはただの幼馴染だ」
「まあ、そう言う事にしておきましょう。今はね・・・・」
ロザリーは一人含み笑いをしていた。結婚してから急に頼もしくなった
ロザリー。出会ったときは泣き虫娘だったのに・・・・。

「いや、ロザリーが、ベルナールとチョコレートを食べながらワインを
 飲みたいと言うので、ちょっとセレクトしてあげてたのさ。あいつに
 は逆らえないよ、オスカル。往来で泣かれてみろ。俺が何かしたみた
 いじゃないか?」
「ふっ、あっはっはっは〜。そいつぁいい!今度ロザリーに頼んでおく
 かな?そうだ。アンドレ、お前がよその女といちゃついたら、ロザリ
 ーに懲らしめてもらおう。な?」
「ちょっと、待て。何で俺が女といちゃついたら、お前達に折檻されね
 ばならんのだ?わかるように説明しろ」
「説明も何も・・。お前はわたしのものだからだ!」

言ってしまってからオスカルは慌てて口を押さえた。
「あ、いや・・・・。わたしの部下兼護衛だからだ。主人のわたしに黙
 って外泊なんぞ許さんぞ」
一瞬、アンドレの体が止まったが、すぐに何事もなかったかのように、
「はいはい、上官どの。では、隣の部屋の寝具を直して参ります。それ
 から帰るとしましょう」
と、隣の部屋の寝具を片付けに行った。


       


オスカルはアンドレが執務机の上に置いた酒瓶を見た。モーザック種の
発砲酒。ヴァレンタイン用なのか、瓶は緑の紙でラッピングしてあり、
上部を紐でしばってある。その結び目に小さな薔薇の飾り。銀色の小さ
な薔薇の飾り。オスカルは、どこかで見たような?とそれに手を伸ばし
た。これは、夢の中でシルヴィーのしていた髪飾りに似ている・・・。

「ああ?それ、綺麗だろう?」
「これ、どうしたの?」
「ロザリーがな、ヴァレンタインの贈物用にしてくれって頼んだら店の
 主人が、特別にってつけてくれたのさ。店のおかみさんが店番をしな
 がら、作ったって言っていたな。」
「そう」
それ以上、口を閉じてしまった幼馴染の背中にアンドレはマントを羽織
らせた。

「ああ、メルシー」
ふたりは、馬車寄席へと向かった。カツン、カツンとふたりの靴音が響く。
「そういえば・・・」
とアンドレが口を開いた。
「さっき、お前が口走った、シルヴィーと言う名だけど聞き覚えがある。
 うん。さっきからひっかっかていたんだ」
「え?」
オスカルは、ぎょっとする。まさか?実在の人物?
「ふふ、もしかすると今ここにいる人物だったのかもしれない」
「どういうことだ?アンドレ」
「お前の女性名だよ。以前、奥様が口走っておられたことがあった」
「いつ?」
「お前が、肩を刺されて寝込んでいたとき・・・」
「話が飲み込めないぞ。わかるように話せ。アンドレ」

アンドレはゆっくりと記憶を手繰った。
「あの時、俺はお前を守りきれなかった事を悔やみ、眠れなくて、お前
 の部屋に行った。そこには、先客がいた。それが奥様だ」
「知らなかった」
「奥様は、ご自分を責めていた。お前を普通の令嬢として育てていれば、
 こんな痛い思いはさせなくて済んだ・・・・と。今更悔やんでも、体
 の傷は消えはしない。過去も消えはしない。だから言うなと口止めを
 されていた。あれから何年も経っているし、もう時効だ。お前に話し
 ても奥様は許してくださると思う・・・」
「そうか。母上が・・・」

でも、令嬢として育っていたらアンドレとはこんなに長い時を共有でき
なかった。オスカルは、そう思った。

冬の陽は地平の下にその姿を隠し、天空には星が瞬き始めていた。


      


馬車に揺られながら
「今日も無事に終わったな。オスカル」
と、アンドレが声をかけた。オスカルは、それに頷きながら目は酒瓶を
捕らえる。いつ、チョコレートの話を切り出そうかと思いながら、とり
あえず目の前の酒の話でもしてみる。
「その、モーザック種のワイン、うまそうだな・・・」
「ああ、食事の後に持って行ってやるよ。ロザリーがな、チョコレート
 に合うんじゃないかと言っていたが、チョレートは時間が無くて買え
 なかった。そう言えば明日は世間はヴァレンタインじゃないか?」
「ああ、そ、そうだな。アンドレ」
オスカルは軍服の上からチョコレートの包みを触った。

無口になったオスカルを見てアンドレがしみじみと言った。
「昔はお前がたくさんもらってきてた。懐かしいな」
「ふふふ〜、お陰で顔に出来物が出来てしまったり・・・・」

馬車がガタガタと揺れる。
「うわっ!!」
「オスカール!!」
道端の大きな石に車輪がぶつかり馬車が大きく揺れ、オスカルはバラン
スを崩した。アンドレは彼女を受け止めようとして腰を浮かした。

「オスカル様、アンドレ。大丈夫でしたか?」
御者が声をかける。
「ああ、メルシー。大丈夫だ。やってくれ」
アンドレが答えた。そのアンドレの胸にもたれかかるようにしてオスカ
ルは馬車の座席の下に座り込んでいた。

「アンドレ」
オスカルは小さくその名を呼んだ。
「何だ?」
耳元に触れるそのビロードのような肌触りのアンドレの声。
「チョコレート。わたし持ってる」
「え?」
「お前の好きなオランジェット・・・」

とっぷりと陽もくれ、空には大きな満月。オスカルは更に小さな声を絞
り出すように言った。
「アンドレ夜中に一緒にチョコレートを食べような。昔みたいに・・・」


車窓から差し込む月の光が愛しい女の髪に反射した。馬車は屋敷に向
かう。少しの期待を乗せて・・・。           とりあえず、Fin (笑


           
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