劇場にて                                      郁作


「うわ」
ひいらぎは小さく感嘆の声をもらした。
「馬子にも衣装ってこの事ね・・・」
「悪かったな」
悪態をつきながら蒼一はそっぽを向いた。今夜の彼は、敗れたジーンズにシャツという定番のスタイルを脱ぎ捨て、セミフォーマルな装いに身を包んでいる。
「やっぱり蒼一っておぼっちゃまなんだ。そういう格好似合う」
「ほっとけ!」
「照れてる、か〜わ〜い〜」
「そういう自分だって、馬子にも衣装じゃんか」
「それは、似合ってるってことかしら?」
ひいらぎは顎をつんと突き出した。
「まぁ、悪かねぇわな」
「コイツ!年下の癖に生意気な!」
ひいらぎは蒼一のわきばらを軽くこついた。

「黒い髪もいいけどよ、もう金髪に戻さないのか?」
「今のところは・・・」
「そのドレスには金髪のほうが映えるような気がするのだが」
ひいらぎは、自分の黒のドレスを見た。肩紐が細く編んだ鎖の華奢な感じのドレスだった。うなじの美しさを強調するように髪はルーズな感じのアップだった。
「金髪がいいの?」
「いや、そういうワケではないけれど、初めてひいらぎを見たときに金髪だったから・・・」
「じゃ、キンパツの彼女でも見つけるのね!」

ひいらぎは、彼を置いてスタスタと劇場内に向かって歩き出した。
「お、おい、怒ったのか?」
「べつに」
「キンパツ女が好きなんじゃない。ひいらぎが好きなんだ」
「ふふふ。いい気もち」
「この悪趣味女め」

 仕事仲間で恋人同士。そんなふたりが出かけたのは、都内でも有名な劇場だった。イタリアのオペラ座を真似て造っただけあり古風なつくりになっていた。
「これこれ、前から観たかったミュージカルなの。よくチケットとれたわねぇ」
「まぁ・・な」
「ボックス席なんて初めてだから、うきうきしちゃう」
「そんなに嬉しいのか?」
「ええ、だって、あなたがホワイト・ディを覚えていたなんて意外だったから」
「意外ねぇ・・・・」

 案外その言い方は的を得ていると、彼は苦笑した。白状するとホワイト・ディの事は、すっぱりと忘れていたのだった。
その日、時間をもてあました蒼一は、昔の習性で銀座の楽器店で楽譜を見ていた。ロックをやりだしてから、もう指はクラシックの曲はまともに弾けなくなってしまった。それでも昔、苦労して仕上げた曲集に愛着を覚えて棚に指を伸ばした。
その時に、偶然、手が触れて、見下ろすとそれは美砂子だった。

「姉貴?」
「そう。久しぶりね」
「いつ留学から帰ったんだ?」
「嫌だ。まだ留学中よ。一時帰国したの」
「なぜ?」
「父に会わせたい人がいて」
「男か?」
「ええ、そう。もしかして、あなたのお兄さんになるかもしれない人」

 姉の視線の先をたどると、背の高い男が佇んでいた。蒼一は、親しい人に合図を送るような仕草をして、はっとした。初対面の人になれなれしすぎると感じて動作をとめた。
「彼よ。ニュージーランド人なの。紹介するわね」
「いいよ。また正式に話が決まったら紹介してくれよな」
「そんなにいそがなくてもいいのに」
「待ち合わせしてるから」
急ぎ口調で蒼一は答えた。
「もしかして彼女?」
「そんなんじゃねぇよ。職場の先輩」

 そう言いつつも彼は、顔が赤面するのを止められない。
「図星ね。では姉からプレゼントあげる。はい、これ」
美砂子はバックからチケットを取り出した。
「誘ってあげれば?もうすぐホワイト・ディだから」
「ホワイト・・・」
「これだからあなたは!まったく絵に描いたような朴念仁なんだから」
「ありがとう」
「あら、珍しく素直ね。頭ナデナデしたいくらい」
「今や俺のほうが目線が上だ」
「へらず口!」
姉は軽く弟をにらんだ。
「でも、いいのか?あの彼氏と一緒に行こうと思っていたんじゃないのか?」
「パパにお願いしたらもう一組くらい手に入るわよ」

 蒼一は苦笑した。何でも出来る姉。父の気に入りの姉。こんなたわいの無い願いも姉が言えば許されるけれど自分が言うのは許されない。
彼は姉に礼を言うと踵を返して歩き出した。父の気に入りの姉。その姉の連れの男。黒髪の白人。背がすらりと高くて姉の隣にピッタリとはまりそうな優雅な雰囲気を持った男。


           


劇場では、アンコールの声が鳴り止まなかった。
「ああ、よかったわね。内容も音楽も!」
「音楽は、アンドリュー・ロイドウェイバーだな」
ひいらぎは上機嫌で、『メモリー』のメロディーを口ずさんでいた。
「この後、ホテルに予約が入れてあるんだ」
「まぁ、手回しのいいこと。どういう風の吹き回しかしら?」
「今日は、ホワイト・ディだから」

 蒼一は照れたように肩をすくめた。
「さ、行こうか」
「ええ」
彼に手を引かれて劇場の駐車場に向かった。
「あら?」
「どうした、ひいらぎ」
「ううん、今なんだか懐かしい空気を感じたから・・・・」
彼はいぶかしそうに振り返った。その時に背の高い男の姿が視界に入った。
「あの男、姉貴の・・・」
「蒼一、どうしたの?」
「いや、俺も今、懐かしい空気を感じたから」
「あら、わたし達、気が合うわね」
「じゃ、体のほうも合うか試してみる?」
「嫌だ。こんなところでそんな事言うなんて」
「じゃぁ、どこならいいのさ?」
「こんな煌々としたシャンデリアの下では言って欲しくない言葉だわ」

 どうせなら、やわらかな蝋燭の光に囲まれた場所で言ってくれればいいのに・・・と彼女は思った。そう、雪が降っていて、部屋の中には蝋燭が灯っているような情景が目に浮かんだ。そばにいるのは黒髪の優しい人。

 それは過去の幻影なのか、自分の願望なのか、それとも近い未来に起こりうる事なのか、ひいらぎにはわからなかった。
劇場の喧騒の中、ふたりは駐車場へと向かった。胸にある種の懐かしさを抱えて・・・。


『あとがき』
美砂子の連れの男って、もうお分かりですよね?
『メモリー』つながりの場面を一度描いてみたかった。
ひいらぎの連れは、彼女の母にしようかとも思ったけれど、色気がないからやめました。(笑



   




                                                                                                             

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