チョコレートの贈り物 10話

                            
「オスカル、どうかしたのか?」
数分間の沈黙の後、アンドレが尋ねた。オスカルは夢見るように、
彼の胸でうっとりとまどろんでいたが彼の言葉で我に帰った。
「あ・・・・。アンド・・・レ。そうなんだ。ちょっと頭が痛い。
 も少し、こうしていてもいいか?」

オスカルは潤んだ瞳で彼を見上げた。彼は、一瞬たじろぐ。彼女の
内にいつもと違う顔が見えた。

『この顔は、以前よく見た顔だ』
アンドレは、そう感じた。

『そう、あの男。フェルゼンに恋していた頃のおまえの顔』
なぜ、その顔がここで見られるのか、よくわからない・・・・。

俺達は、幼馴染で、主従の関係で、今は上官と部下の関係も併せ持
っている。でもそれだけだ。それ以上は自分は望まない。彼女が親
に反発して潰した結婚話。彼女が婚約者の追撃を振り切って断った
あの結婚話。

あれが、自分の存在を気にかけてくれての行為かどうかは、自分に
はわからない。彼女は何も言ってくれない。自分も聞かなかった。
いちいち、問いたださなくても感じ合える空気がふたりの間には存
在していた。彼女の行為が結果的に自分の存在を容認した。それだ
けで良い

「オスカル、あんな所で転寝などするから風邪をひいたのではない
 か?ならば早く帰ろう。お屋敷からの馬車がそろそろ到着する頃
 だ」
アンドレは、自分の身を彼女から離そうとした。
「嫌!」
なぜか、彼女はアンドレから離れようとしない。
「でも、熱も診たいし、ちょっと額に触れたいのだけど・・・」

「こうしていれば、収まるから大丈夫」
アンドレの胸に顔を埋めながら彼女はくぐもった声で返事をすると
再び黙り込んでしまった。

「弱ったな・・・・」
オスカルに発っしたように聞こえるその言葉を彼は同時に自分に向
かっても言い放つ。こっそりと心の中で・・・。







辺りに漂うオレンジの香り。甘く思考を狂わせるその香り。
辺りに溢れるオレンジの光。昼と夜が交代を告げる逢魔が刻。
アンドレの中に潜む、封印したはずの気持ちが頭をもたげる。
それを一番、恐れる彼は力ずくでオスカルを引き剥がした。

「アンドレ!何をする!気分が悪いって言ってるだろう?」
「それだけ元気なら大丈夫だな?」

オスカルはしまったというような顔をする。嘘がばれたときの彼女
の癖。親指の爪を噛む子供の頃からの癖。

「俺が、ダグー大佐にあげるはずだったチョコレートをかっさらっ
 たから反撃か?」
何とか、平常心を取り戻したアンドレはオスカルをからかった。
「違う!あれは、最初からおまえにあげる予定だったんだ!!」
勢い良く言い返してから彼女は、口を押さえる。

そのままアンドレの手の中にあったチョコレートの箱を奪い取ると
司令官室から出て行こうと扉に向かって行く。
「オスカル、靴もはかずに何処に行く?」
「・・・・・」
彼女は無言でノブに手をかけた。

「おい。待てったら!何を怒っている?」
アンドレは彼女の肩口を掴むと、自分の方へ向かせた。
「あ、わたしは・・・・」
アンドレに見つめられオスカルは体中の力がくたくたと抜けそうだ
った。自分の肩口を掴む彼の力だけが現実味があった。ふわふわと
夢の続きのようなこの感じ。アンドレとシルヴィーの仲睦まじい姿
が浮かぶ。

あれは、わたしの夢。彼は知らない。でも彼の眼は何でも見透かし
そうで怖い。その見えないほうの眼で自分の心を覗かれているよう
な気がする。そう、わたしの願望を・・・・。

彼に、彼に自分の心をさらけだしてしまいたい!今、ここで!

オスカルの瞳から感情が溢れ出した。瞳は言葉を発する唇よりも、
彼女の本心を雄弁に物語っていた。彼は、彼女の瞳の語りかけに
どう答えるべきか考えを巡らした。

「オスカル、何を泣く?」
彼女の唇は、何も語らない。瞳だけが無言の要求をしているように
思えた。

要求・・・・・。もしかしたら?  アンドレの思考が働く。
でも、もし違ったら?  アンドレは一か八かの賭けに出た。







彼は、彼女の手からチョコレートの箱を取り上げると、手近のソフ
ァーにそっと投げた。ポスっと小さな音がした。

そのまま彼は唇を重ねた。オスカルは抵抗しない。でも反応もしない。
アンドレは更に深く彼女に口付けた。彼女の真意を試すように・・。

一旦、止まっていた彼女の涙がまた溢れ出す。この涙は無言の拒否
なのか?アンドレは決断をした。どのみち自分は彼女に触れないと
言う約束を今、破ってしまった。一度動き始めた彼女への思慕は、
もう理性では押さえきれない。

口付けは、更に激しさを増し、息つぐ間も惜しんでいるように行為
は続けられた。唇の端から吐息が漏れる。しかし、彼女の両腕はだ
らりと下がったまま・・・。

アンドレはオスカルの軍服の胸元を器用に開くとその胸元に手を滑
り込ませた。しばし、そこをまさぐるが、何かを探し当てたように
手を引き抜いた。

そこには、彼女の拳銃が握られていた。

「オスカル」
彼は唇を離すと静かに言った。
「もう俺は自分が押さえられない。俺が嫌ならこのまま殺せ。そう
 すれば、おまえの口から俺を拒否する言葉を聞けずに逝ける」
アンドレは拳銃を彼女に持たせると自分の心臓の上に銃口をあてた。

                                     つづく

          
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